――――――――――――――『過去の会合』―――――――――――――― 「一弥、一弥」 倉田 一弥。 倉田 佐裕理、私の弟。 「一弥、ねぇ一弥、ねぇ起きてっ」 今、私は幼い弟の一弥をベッドから起こそうとしている。 「一弥ってばっ」 一弥は生まれた時から体が弱く、大きな病院で入院して、それで今に至るのだ。 私は父から、弟を正しく育てるように言われたので、今まで厳しく甘えさせないでいたが、 余りにもかわいそうだったので、父の許しを得て弟に対して優しくすることに決めたのだ。 それで今から遊びに行こうとしている。 しかし、一弥は息苦しそうに瞼を閉じている。 それでも、私は起こそうとしている。 何故なら、早く弟と遊んで、その笑顔を見たかったからだ。 少し苦しいだろうけど、それでも一緒に遊びたかった。 やがて一生懸命呼び起こしていると、一弥がやっと瞼を半開きにさせた。 そして怯えるような目でこちらを見てくる。 また叱られるのではないかと感じているのだろうか。 私は悲しかった。そんな思いをさせてまで私は酷いことをしていたのか。 でもそれは昨日までの話。今日からは思いっきり遊ぶ。 私は笑顔で言った。 「一弥、今日からはね、楽しいこと、たくさんしようっ  笑っていいんだよ、ほら、お菓子もたくさんあるから食べていいんだよ」 私は駄菓子屋で買ってきた、菓子がぱんぱんに入っている袋一杯の菓子袋をかかげて 一弥に見せた。 一弥は怯えるような目で見なくなったが、それでもきょとんとしてぼーっとしている。 今までにないことだから、どう反応してよいのか迷っているのだ。 「ほら、みずでっぽうもあるよ、一緒に遊ぼうよっ。  お姉さんはねっ、こう見えても運動神経はいいんだよ」 もう一つ買ってきた、おもちゃ屋で買ってきた水鉄砲を一つ片手に、 もう一つを片手に両手に持って見せた。 水は入っていないので、ひきがねを引いてしゅこしゅこ空打ちする。 「ばーんっ」 私は一弥にみずでっぽうを向けて打ってみた。 一瞬一弥は震えて瞼を強く閉じた。 私はまた酷い事をしたのだろうかと不安になったが、すぐそんな不安は消えた。 一弥は怯えた後、片目でこちらをそっと見る。 その後、なんとあの一弥が面白そうに笑ったのだ。 そう言えば、一弥の笑顔など見たことなかった。 それだけで嬉しかった。 「ね、いっしょに遊ぼうよ、元気になったらいっしょにゲームセンターに行ったり、 もっと面白いこと教えてあげるね」 一弥はまだ苦しそうだったが、楽しそうな様子だった。 その日は一弥に対して甘えさせた。 本を読んであげたり、ご飯を食べさせてあげたりした。 遊びにいけることはできなかったけれども、大きな進歩だったような気がする。 でも今日は、何となくどうしても遊びに行きたかった。 翌朝、私は一弥を起こす。 これからが楽しみでしょうがない。 「ねぇ一弥、起きて」 今度は一回で起きてくれた。昨日のような怯えもない。 「ねぇ、一弥、今日は遊びに行こうよ」 一弥は不安そうな顔をした。 「大丈夫だよ、お姉さんがついてるから」 私は行きたいあまり一弥をベッドから引きずり降ろした。ちょっと強引だっただろうか。 一弥はよろめいた。 寝たきりで体が回復するどころかますます弱ってきているのではないか。 私は一弥を支え、遊び道具を持って病室を出た。 「これから楽しいことたくさんしようね」 病院の近くの公園に行くつもりだ。外の天気も、神さまが許してくれているように いい天気で、気温も暖かい。 病院の玄関でスリッパから靴に履き替えた時、一弥は自分で外に行こうとしていた。 自分から外の世界への楽しみに興味を抱いているのだ。 私は嬉しかった。 これから、毎日が楽しい日に違いない・・・ 「うさーぎさんっ、うさーぎさんっ」 一方その頃、別の病室に一人の女の子と母親がいた。 川澄 舞。 まいは病室の窓から外を覗いていた。 そして、病室の中をぐるぐる回ったり、同じ部屋の人と目が合っちゃったりしていた。 「すみません」 母親がその人に対して謝っていた。 「舞、だめよ、迷惑をかけたら」 まいはちょっとしょぼんとして謝った。 「ごめんなさい・・・」 すると相手の人は、笑顔で応えてくれた。 許してくれたのだろうか。 まいは自分が悪いことをしたのだとたった今母親に教わったのに、 相手に喜ばれたから不思議でわからなかった。 「でもごめんね、私のせいで退屈な思いさせちゃって」 母は、まいを生んだ頃から体を悪くしている。 それで大きな病院で入院していて、まいは母の看病をしているのだ。 時々、母がご飯を食べるとき、手が震えて箸が持てないとき、 まいがスプーンですくって食べさせたりした。 「ありがとう、まい。おいしいわ」 まいが食べさせてくれる料理はおいしい、心理的にも良い気分が母親の中で広まった。 母が笑顔をしているのを見ると、いつか絶対母の病気は治るとまいは信じて疑わなかった。 しかし、母親の病気は一向に善い方向に向かう筋を見せない。 「お母さん、動物園行こうよ」 いつかまいが母に行った。 動物園に行けばうさぎさんたちも居て楽しいから母も元気になる。 まいはそう思ったのだ。 「ごめんなさい舞、お母さん今日はちょっとだけ疲れているみたいだわ」 そう言って笑顔で答えたものの、額からは汗が流れていた。 まいは悲しそうな顔をした。それは動物園に行けないからではなく、 母が苦しそうだったからだ。 動物園に行きたいのは本心だが、それよりも母の病気が治ってほしかった。 だからあんな発言をしたのだ。 「うん・・・いいよ、また今度行こうよ」 「そうね、また今度ね、舞」 母のその笑顔を見るとまいはまた希望を持った。 やっぱり、お母さんの病気は絶対治るんだ。 「・・・」 次の日、母は朝に目覚めてカーテン越しに外を見てみた。 外は薄暗く、雪が降っているようだ。 そう、季節は冬。ここは北の街なので特に冷たく寒い。 まいはどこかへ行っている。 そこへ、舞が病室に入ってきた。 「あらあら」 看護婦さんがその様子を見て驚いている。 何故なら、舞は雪を病室に持ち込んできていたからだ。 「ねぇお母さん、これうさぎさんだよ、私が作ったの」 「まぁ、可愛いわね」 その様子を見て看護婦は微笑ましい顔でまた別の病室へと行った。 「でも雪を持ち込んじゃダメよ」 「うん・・・」 それに、部屋のストーブで雪はすぐ溶けてしまう。 まいはちょっとかなしそうだった。 「外、雪降ってなかった?」 「降ってたけど、ううん全然寒くないよ」 まいは母親と違って元気だ。母にとってはそれが何より嬉しいことだった。 「うさぎさん、雪で作った、雪うさぎさん」 雪は楕円形にきれいに丸められてあり、おまけに木の実でつけた目や葉っぱの耳が ついていた。白い体に赤い目と緑の耳が、色鮮やかだった。 「まい、よく頑張ったわね、きれいで可愛いわ、ご褒美よ」 そう言うと母はお菓子と、財布から小銭を数枚取り出して舞に渡した。 「これ、おいしいから食べていいわよ。あとそれから、これで好きなものを買っておいで」 まいは、わーいと諸手を挙げて喜んだ。 それから舞は嬉しそうに病室を飛び出して行った。 しかし、すぐ帰ってきた。 その手には、飲み物がある。 「はい、お母さん。お母さんの病気が早く治りますように」 手渡された飲み物は、温かい缶コーヒーだった。 コーヒーは病人が飲んでよいものかわからないが、精一杯のまいの気持ちだった。 「ありがとうね、まい」 母は嬉しくて涙を流した。 「お母さんっ、どこか痛いのっ?」 その病室内にだけ響き渡るような、まいは少し大きな声を出したので 同室の人がこちらを見ていた。 しかし、その人たちは微笑ましいようにその光景を見ている。 「大丈夫よ、まい」 翌日、良い天気だった。 母も、いつもより元気そうだ。 今日は大丈夫、絶好のチャンス。 まいは思い切って言ってみた。 「おかあさん、動物園行こうよ」 「・・・」 母はしばらく沈黙していたが、何かを決心したように言った。 「そうね、今日は良い日だものね」 そう言って起きだそうとする母の様子は、ぎこちないものだった。 体が弱っているので、ベッドから起きるだけでも一苦労なのだ。 ベッドからようやく起きてスリッパに履き替えるとき、母はよろめいた。 その時まいが頑張って、子供には重い大人の母の足と体を支えている。 「ごめんね、ありがとう、舞」 そしてようやく病院の玄関で靴に履き替えて外に出た。 暖かい陽射しが眩しい。 まいは眩しそうに目を瞑り、片手で顔を覆った。 「今日は良い天気ね」 母は上着を羽織り、お天道様の下で歩いている。 まいはその母についていった。 しかし母は、病院で寝たきり生活を強いられていたため、外に出てすぐ息が切れだしてしまった。 「ごめんなさい舞、ちょっとここで休ませてね」 苦しそうに息を切らして、母はすぐそこのベンチに座った。 雪がつもっていたので払ったが、冷たさは残っていた。 しかし、体が熱くなっている母にとってはその冷たさが気持ちよかった。 まいはその様子を見て悲しそうだったが、時間もたくさんあるしバス停はすぐそこなんだから 少しずついけば良いんだと思って、母の体力が回復するまで待つことにした。 「お母さん、お母さんっ」 母は少しの間眠ってしまっていたらしい。 「まい・・・?ごめんね、お母さん寝ちゃってたみたい」 「お母さん、見てっ」 見ると、ベンチの周りが雪うさぎだらけになっている。 「雪うさぎさんだらけの動物園っ」 どこから取ってきたのか、ちゃんと目や耳もある。 「立派できれいな動物園ね」 母は笑顔でその動物園を見回した。 そう言ってまた目を閉じる。 「お母さん、苦しいのっ?」 まいは訊いた。 「ごめんなさい舞、お母さん今日はちょっと無理みたい」 「じゃぁ、今度は遊園地に行こうよっ」 「そうね、今日は素敵な動物園に行けて楽しかったわ。今度も楽しみね」 そう言って、母はまた病院へ歩き出そうとして、まいもそれに付いて行った。 その時、病院から出てきた2人の子供が居た。 佐裕理と一弥は、楽しそうに出てきた。 その時、まいと佐裕理は目が合った。 「――――――――――――」 「――――――――――――」 その時2人は無言だったが、佐裕理は思った。 まだ私と同じくらいなのに、立派にお母さんの看病をして、そして仲良くやっていると。 まいもまた思っていた。 自分と同じくらいで、同じくらいの下の弟とこれから遊びに行く様子をうらやましいと。 それが2人の初めの会合だった。