哲学 ・デカルト『我思ウ故ニ我在リ』 デカルトは疑い考える人だった。何が真であるのか。感覚は錯覚があるし、幾何学も間違いがある。 この偶像をイドラと呼び、全てを偽とする。覚醒時の思考は寝ている間に夢として現れる。 夢は今までの経験を通して現れる。夢は偽。 と言うことは今までのことも偽と想定するとそう考えているものが何ものかでなければならない。 と言うことから考えるものは存在すると言うことができる。 これが真であるとして偽でもなく真であると言うことを信じ得ないことはないと。 これを「我思う故に我在り」と言った。そしてこれを明晰判明な原理と言った。 そこで考える者は一つの実体であり、それ以外の物理的な如何なるものの何ものでもないし要さないともデカルトは考えた。 ここから、コギトと言われる思考する精神としての私と、 物としての自然の世界があると言うことを精神と自然の二元論と呼ぶという考えが生まれたのである。 ・プラトンの『イデア論』 プラトンのイデア論は洞窟の比喩で説明される。イデアとは知性によって捉えることのできる完全な性質を持ったものを言う。 イデアは事物のある現象会を超えた思推によって知られる叡智界に存在するもので、その中の最高を善のイデアと言う。 それは現象会における太陽のように君臨するイデアの中のイデアという。 知的世界でかろうじて見て捉えることのできる善のイデアはすべて正しく美しいものを生み出す原因である。 善のイデアは光と光の主を生み出し、叡智界で真実性と知性を提供する。 公私いずれにおいても思慮ある行いをしようとするものはこのイデアをこそみなければならないと言われている。 イデアは物事、価値の理想的な原形で、これを認識することが哲学の目的であるとされている。 ・面白そうな本3つ 野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙 女は何を欲望するか? 世界を肯定する哲学